2024 聖徳太子五憲法釈義/石田一鼎歿後二百八十余年公開されることがなかったもの・この釈義こそ葉隠精神の原点ではなかったかと考えられる

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聖徳太子五憲法釈義/石田一鼎歿後二百八十余年公開されることがなかったもの・この釈義こそ葉隠精神の原点ではなかったかと考えられる

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聖徳太子五憲法釈義/石田一鼎歿後二百八十余年公開されることがなかったもの・この釈義こそ葉隠精神の原点ではなかったかと考えられる

昭和53年 厚さ約cm。資料用にもいかがでしょうか。

『葉隠』は、佐賀鍋島藩武士道の修養書。鍋島藩士で書写物奉行であった山本常朝の口述を、やはり鍋島
藩士で、御祐筆役を勤めた田代陣基が、七年間に亘って聞き書きをし、これを編集して享保元年(一七一六)に完成させた十一巻の書物である。以来藩の中で書写されて流布し、『鍋島論語』『肥前論語』などとも称されたようである。
一般に武士道と云うは死ぬ事と見附けたりー (葉隠聞書第一、二項) の一行がよく知られ有名であるが、十一巻の尼大な全文は、当時の藩の記録であるばかりでなく、国政や 他藩での出来事、公私に亘っての人間のありよう、生きざまが、まことに犀利な眼で捉えられ、論じられて
いるもので、今日風に言えば、政治、経済、人事、道徳など広範囲に及ぶ好エッセー集と言えよう。

と言っても、たとえば今日の新聞のコラム欄のように、読者を意識して書かれたものではなく、此の始終十一巻、追って火中すべし、と、巻頭に断ってあり、藩政時代は秘本として、藩内の心を許した人々の手から手へと渡って写しとられ、その抄本がはじめて世に出されたのが、明治三十九年(一九〇六)であった。

この『葉隠』の鼻祖(始祖)と称されているのが、佐賀藩儒学の祖、石田家十八代の石田一鼎である。
(一鼎についての詳細は後述)そして、一鼎の直系最後の人、石田興は、昭和三十二年(一九五七)十月に、東京で不帰の客となり(行年八十三歳)妻子が無かった為、本家は絶え、二十九代を以て終結した。
そこで、同家に所蔵されていた先祖伝来の古文書類は、すべて親類筋にあたる中島家に引き継がれた。

「葉隠」十一巻は、全国の葉隠研究家によって、その抄本、解説書などが幾冊か刊行されている筈である。
しかし、今回復製を試みた『聖徳太子五憲法釈義』乾 坤写本は、石田一鼎歿後二百八十余年公開されることがなかったものだが、愚見するところ、この釈義こそ、『葉隠』精神の原点ではなかったか、と考えられ、この先祖が遺した文化的遺産を、今日の多くの方々に御高覧賜わり、斯界の研究資料の一助となれば幸いと希うものである。

石 田
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